なんかしらんのやけど

 いや、ほんま、なんかしらんのやけど、突然。唐突に。

 ガンプラやすりたくなってきた。

 まぁ、どうせすぐ飽きるやろけど。

 HGとかで最近の1個買ってみて、サクサク仮組みしてみようかな。今ってガンプラ、何が出てるんやろ。モデグラもホビジャも電ホも全然見てへんし、テレビ放送のガンダムも見てへんし、もう全然分からへんのやけど。

 最近のテレビでやってたという「ガンダム00」のメカページを見たんやけど、最近のガンダムって色んなメカ出るんやね。勢力ごとにライン変えてあるというか……。

 個人的には、AEUイナクトのカッコ良さもいいと思うんだけど(見た目がゼノサーガのA.G.W.S.のVX-10000にすげー似てる印象を受ける。VX-10000はメカデザインとしては個人的にかなり好き)、人類革新連盟のティエレンの渋さに吹いた。これ、絶対ウケ狙ってるわ。特に高機動型(これだけ揃っていて、なぜ色を白地に赤ラインにしなかったのだ!)。

 ガンダムの見た目はどれも微妙やなぁ。強いて言えばヴァーチェ、かな?平面が多いし、情報量が少ないので。でも立体化しても楽しくなさそう。

 ガンダムエクシアの顔は好きだけど、身体がなぁ……。特に、肩。このボコッとしてる形状は何の為のものなんだろう。二の腕に繋がってるきしめんは柔らかいものなんだろうか。何かのケーブル?スケール的にこんなケーブルあり得ないし、装甲外にそんなもん露出させちゃダメだろうし。硬いものだとすれば、両腕を横に水平にできないはずなんだけど。テレビ放送時はここ、どう動いてたんだろう?あと、ぼちぼちガンダムからアンクルガード無くせばいいと思う。宇宙空間で戦うメカが足首覆って何を守るというのだ。自由度減るやんか。

 ガンダムデュナメスはガンダムデスサイズヘルカスタムの劣化版?Wは見た目に面白さ・美しさを追求してたと思うから、デスサイズの馬鹿みたいな羽で良いと感じたのだけど。00は敵のメカが結構ちゃんとしてるので、ガンダム的記号のせいで余計に安っぽく見えてる気がする。

 ガンダムキュリオスは膝を上げたときに顔にとんがったのが刺さらないんだろうか。

 ガンダムナドレは……Gガンに出てきたセーラー服ガンダムみたいなもん?

 ともかく、今のガンダムメカ事情がいまいち性に合わない気がしたので、プラモ作ってみるか計画はひとまず頓挫。一週間後にまだやりたいなーって思ってたら、プラモ屋に行ってみよう。

捨てた

 家の模様替えと称して、掃除をしている。
 掃除の一環として、ガンプラを捨てることに決めた。その数、20数箱。仮組みやらしてたのは躊躇わず全部捨てた。一切手付かずのものは、現在引き取り手を募集している。プレゼントとしていただいたものは、さすがに手元に残した。あと、MG初代ガンダムのVer.Kaとサフ吹きまでやってあったMG GP-03ステイメンは、どうしても捨てられなくって、手元に残した。
 プラモデルと外箱は、45リットルのゴミ袋3袋に、収まってしまった。意外とあっけない。
 プラモデルをこうして捨てるということが、どれだけ勿体無いことなのかは承知している。そのものが組み上げられなくても、他のプラモデル改造用のパーツとして幾らでも流用できるものだし、まして手付かずのものを売りもせず捨てるなんて、思い切りにも程がある。プラモ屋の店長が知ったら、激怒しそうな所業だ。たぶん、僕はもうプラモ屋の敷居を跨げないだろう。
 でも、こうして捨てようと考えたのは今に始まったことじゃない。前の会社の時から心にあった考えだ。
 僕はプラモデルを愛している。
 でも、プラモデルを作れない日々の生活の中で、作りたいと願ってしまう自分の心が苦しい。何かをしたいと思いたくない。
 最後にやすったのは、ジム改だったろうか。フレームの接着と表面処理が終わっていた。フレームなんて、装甲付ければ外から見えなくなってしまうのに、全ての面をやすり直してある。接着面だけでなく、C面までやすって面を出し直している。好きなんだなぁ、まっすぐな面が。指でなぞると、狂おしい官能を感じる。きれいだ、と思った。ひとしきり撫でてから、振り切るようにゴミ袋に投げた。これでいい。
 結局、ほどほどってのが分からないんだと思う。ほどほどでやる位なら、最初からしたいと思わなければいいんだと考えてしまう。全力でやらないと、何もかもつまらない。全力でやらないと、何かしたっていう気持ちにならない。だから、自分が何かしたいと思うことが、ひたすら自分で苦しいんだと思う。
 やりたいことは沢山あって、その全てをやるなんてことできないから、いつか、どれかを落とさなければならない。これは、その一つの選択だ、と思うことにした。
 そうでなくても、頭の中はいっぱいいっぱいだ。考えることはできるだけ増やしたくない。常に3つまでにしたい。3つでも多いな。1つが理想。0だと最高なんだけど。0にはなれないね。
 せっかく作ったプラモデルのブログカテゴリだけれど、記事は2件で終わる。捨てられていくプラモたち、本当に駄目な主人で、ごめんね。ちゃんと作ってあげられなくて、ほんまごめん。
 ごめんとか言って泣きそうな気持ちになりながら、涙を流すわけでもない。数年前やったら、まだ泣けたんやろな。今の僕には、泣くだけの感情の発露すら、もうできない。
―――――
 プラモデルを捨てたから、次はゲーム機とCDとDVDを捨てる番だ。なかなか勇気が要る。
 何も無くなったら、僕は少しでも穏やかになれるだろうか。

損な性格

 徹夜仕事から帰ってきたある朝、服をしまいにクローゼットを開けた瞬間に、僕はどうしようもなく悲しい気持ちになったのだった。封を切られずしまいっぱなしのプラモデル。作りたい、でも作る気力が無い、そんなジレンマを1年ほど抱き続けてきたその朝、プラモデルが作りたいと思うことに疲れて、全部捨ててしまおうと思ったのだった。作りたいと願っても、作ることができる日なんかずっと来ることはないんだ、と心の何処かで思いながら。
 それでも結局、プラモデルを捨てることはできなかった。作られないまま放置されるプラモデルも可愛そうだけど、作られる為に生を受けたのに箱から出ることもなく捨てられるなんてことは、もっと酷いことなのだと思ったからだ。
 数年、僕はプラモデルから一切の接触を経った。あれ程読み続けたプラモデル雑誌も読まなくなったし、身近にプラモデルを作る工具も置かなくなった。いつしかプラモデルの作業台と化していた自室の机には本とCDが積まれ、その下敷きにされている工具に触れることもできなくなった。
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 先日、本当に数年ぶりに、プラモデル屋に行く先輩に付いて行った。僕は単に先輩と一緒に居たかっただけなのだけれど、いざプラモデル屋に着いたとき、久し振りに店長の顔を見たとき、僕は何だか自分のことを恥ずかしいと感じていることに気付いた。
 たかだか趣味のものに、何をそんな全力で悩んでるんだ、僕は。一人で思い詰めた挙句の果てに、物に八つ当たりとは、バカバカしいにも程がある。
 できるときにやればいい。できないときは、そのまま放っておいてもいいんだと、どうして思えないのだろう。
 僕がプラモデルを作るようになったことを知る人に、プラモデルの話をされることが苦痛になったのは、なぜだったろうか。「いや、ここんとこ立て込んでて全然プラモ触ってないんですよ」って答えることが、僕はどうして苦痛なのか。まるでプラモデルを作り続けていないことが悪いかのような。常にプラモデルについて新しい話題を持ち続けていないといけないかのような。
 いい歳してんだから、自分の趣味との距離の置き方ぐらい、わきまえても良さそうなものなのに。そうそう、大人の趣味、ってやつですよ。求道者ではないのですよ。なんでそんな全力投球になっちゃうかなぁ。
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 そんなわけで、僕はプラモデルとの接触を絶つ必要はもはや無いのだと思った。やりたい時に、できるだけやればいいのだと思った。ゲームも、音楽も、同じ。楽しみを、ただ苦痛に自分で変えていくのは、何だか馬鹿馬鹿しいし、損だ。
 僕は損な性格をしている。本当に。