世界樹の迷宮、取り敢えずクリア

 ゲームを作ることを、一旦ストップさせてみた。ゲーム製作が鬱を推し進めている感じがしたため。

 で、買ったけど終わって無かったゲームを再開することにした。

 DS「世界樹の迷宮」、取り敢えずクリア。買ったのが2007年1月21日なので、実に2年半かけてクリア。しかも「取り敢えず」クリア。クリア後もまだ何かあるようだけど、もういいことにする。

 楽しかった。

  • マップのグラフィックが結構好き。特に1階、それから最終フロア。きれいやー。
  • ゲームバランスも良かった。多分、普通の人からしたら厳しい難易度なんだろうと思う。
  • こんなに花のモンスターにびくびくしたのは初めてだ。トラウマになりそう。「花が、花がぁー!」
  • 森の中だけに、熊さんに出会いました。熊さんは次々と合流してきて……「くどい!」アルケミストが焼き熊にしてしまいましたとさ。
  • え?受領クエスト?何ですかそれ?w

 次は、DS「すばらしきこのせかい」を再開。タッチペンで戦闘するだけあって、早くも肘が痛いです。でもこのゲームは良くできている。悪いところもいっぱいあるけど、良くできている。感心。何気に古いゲームですが。2007年発売、これまた2年前のゲームやないの。

ゲームが面白いとはどういうことか

世界樹の迷宮

世界樹の迷宮

アトラス


 ゲームが面白いとはどういうことか。
 その問いに対して、一つの回答例がある。それは、プレイヤーが進んで想像を働かせる装置である、ということ。
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 ノスタルジーに浸るではないが、昔のゲーム(というと幅が広すぎて人によって想像が大きく異なると思うが、敢えてそのまま進める)には、情報量がとても少なかった。文字、ビジュアル、音、操作、挙句取扱説明書に至るまで、実に与えられたものが限られた世界だった。だから、プレイヤーは足りない部分を想像するしかなかった。そうした想像が、ゲームそのものを拡げていたと私は考える。ちなみに、そうした想像が、ノベライズやアンソロジー、同人誌といった二次創作へ至る確かなステップであった。そこにも離れ難い愉しみがあることを私は知っている。
 ゲーム機の性能が向上し、市場の拡大から制作にかけられる金も大きくなった昨今、ゲーム内で提供される情報は増大の一歩を歩んでいる。登場人物の所作、心の機微、或いは周囲の環境に至るまで、惜しみなく情報が与えられ、その場にいるような錯覚すら覚えるほどだ。
 しかし、それだけの情報を得られても尚、プレイヤーはゲームでは語られない部分を想像しようとする。想像でしか得られないゲームの愉しみを、身体が欲しているのだ。緻密に作り上げられた世界を読み解き、隅の隅まで想像し、何とかして想像する余地を探そうとあがく。最近のゲームプレイヤーの姿は、私にはそのように見える。だから、プレイヤー同士がする「ゲームの話」は、いつしか込み入った素人お断りの、重箱の隅を突く様なものになった。自然と想像が働くのではなく、作品の隙を必死に探す。そうまでしなければ己の想像力を働かせることができない。情報量の増加に伴って、ゲームはプレイヤーにとって窮屈なものになってきたのではないか。
 ゲーム内の情報量の増加は、ゲーム制作者がより多くの想像をプレイヤーに伝え、プレイヤーにより豊富な想像をもたらすために行われるものだが、結果としてプレイヤーの想像を奪うというのは、何とも奇妙な話にも思える。
 そうしたプレイヤーの想像の行き詰まりに対して、作品中に想像力を働かせる余地を残すべく、余りにも膨大な情報量を詰め込み全体の把握を困難にした作品(『ゼノギアス』『ゼノサーガ』など)、結末そのものを曖昧にした作品(『ベイグラントストーリー』など)、物語そのものを構造から逸脱させた作品(『ムーンライトシンドローム』『シルバー事件』『花と太陽と雨と』など)など、幾つかの手法が提示され、それぞれ評価を得てはいるが、いずれも決定的な解決ではなかったように思う。
 前置きが長くなった。『世界樹の迷宮』である。
 制作会社はアトラス。アトラスと言われて思い起こすのは『真・女神転生』シリーズだが、あれは実に想像力の働かせ甲斐のある、良い作品だ。一見、細々と描写されているようでいて、呈示される情報量はかなり少ない。故に、プレイヤー個々人の想像を投影しやすい。物語が不足するでもない、情報過多でもない、このせめぎ合いが絶妙なバランスを持ったゲームだと思う。
 さて、このゲームのディレクター、新納 一哉は公式サイト「世界樹の迷宮Blog」で、このように語っている。
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(引用始め)
ゲームなんてモノは、正直たいしたものじゃありません。
貴方の頭の中の想像力のほうがもっと豊かで楽しい物です。
是非、想像力を楽しむための道具として、
このゲームを使ってみて欲しいなと思います。
(引用終わり)
引用元:世界樹の迷宮 公式Web「新納コラム2:楽しみ方/妄想編
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 まさに、今私が言わんとしているのはこのことである。ゲームは、あくまでも装置。ゲームに遊んでもらうのではなく、ゲームを遊ぶのだ。今、こうした姿勢でゲームを作っている会社がどこにあるだろうか。
 ゲームの内容は、見る人が見ればすぐに分かる。Wizardryそのものである。登場するキャラクターは喋らない。名前も職業も性別も自分で考えて作る。見た目萌え絵っぽいキャラであるが、これらはあくまでも<記号>だ。その証拠に、男女に描き分けられているにも関わらず、キャラクターの性別は特定されていない。見た目を女性の絵でキャラクターを作ったとしても、プレイヤーがそれを男性だと思えば、それが許される。目の前にあるのはシンプルな3Dダンジョンであり、単調な(しかしアトラスなのでゲームバランスはかなりシビアな)戦闘であり、感動的な物語も、素晴らしい名台詞も、このゲームには望むべくもない。
 しかし、だからこそ、私たちは冒険することができるのだ。
 断言する。これは、私たちへ向けた本当のゲームだ。今これをやらないなんて、どうかしている。
 ――色々苦しいだろうけど、頑張れ、アトラス。私は心から拍手を送る。よくぞ、その作品を世に出した。この作品は売れないだろうけど、私は諸手を挙げてこの作品を支持する。
 参考までに、私より先に購入してプレイを始めた友人の話をしてみる。友人に、パーティ編成をどのようにしたかを聞いてみたところ、職業・性別の一覧と併せて、血液型が記されて返ってきた。
 このゲームには性別も血液型も出てこない。彼の中では既にキャラクターは命を得て、動き始めていることの確かな証である。
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 上記の話だけではちとゲームについて分からないだろうので、簡単に説明付加。

  • 基本はWiz。キャラメイクして、ダンジョンにもぐる。職業も色々あります。
  • 本編はスキル制。玄人好み。
  • オートマッピングはありません。DSの上画面がダンジョン、下画面がマップ。タッチペン使って自分でマッピングします。
  • 本編のメッセージは、昔懐かしいゲームブック風。これ、ド真ん中ストライク。
  • 敵との戦闘はランダムエンカウントだが、一部、F.O.E.と呼ばれる強めの敵が徘徊してて、それらは姿が見える。こちらが一歩歩くと向こうも一歩歩くので、マップみながらうまいこと進まないといけない。シレンとかトルネコっぽいね。動きのアルゴリズムも色々あるみたい。
  • F.O.E.の話はそれだけじゃなくて……。ランダムエンカウントの戦闘1ターンが、マップ移動の一歩に相当する。つまり、近くにF.O.E.がいる状態でランダムエンカウント戦闘を続けてると、1ターンごとに一歩ずつF.O.E.が近付いてきて、戦闘に合流してくる。合流したF.O.E.を倒すべく戦闘してるとまた次のF.O.E.が合流してきて……とか、ピットから落ちたら落ちたマスの隣にF.O.E.が!とか、素敵なイベント目白押し。ダンジョンマスターっぽい。
  • 音楽が古代 祐三。しかも、敢えてゲーム音楽っぽくするために88の音をサンプリングして作ってるとのこと。キタコレ!これだけ狙ってる層をハッキリ出されたらもう、降参するしか。
  • 難易度、相当シビアらしい。最初のフロアで全滅とか余裕である模様。ヒィ~!でもマゾいゲーム好きなので……w

 これ知ったら……買うしかないよなぁ。買っちゃったけど、いつやろうかな。ポケモン→ドラクエモンスターズ→世界樹と、見事にDSの放置RPGループが……。でも、でも、ガマンできなかったんだよ……。