[同性が好きかもしれないキミへ]プロジェクト
第ニ回 : 初めて会った自分以外のゲイ
なかなか自分でも苦いゾーンなので書くのに勇気が要りますが、頑張って書いてみましょう。
# 第一回のトラバからかなり間が空いたのは
# ちと踏ん切りがつかなかったから、というのが少なからず
大学生のとき、何とかして自分以外のゲイに出会う方法として僕が知っていたのは、雑誌の回送欄しかありませんでした。この時、僕はまだネットなどというものを知らなかったのです。
# それどころか、DOS/VとMacの違いを知らなかったくらい
# MSXは知ってたんやけどなぁ
回送欄というものは…知らない人もいるかもしれないので説明しておくと、
- 発信者は、雑誌に、自己アピール+自分の求める相手の条件などを文章にして送る。
- 発信者の文章が雑誌に匿名で掲載。記事には番号が付いていて、その雑誌を読んで「いいな」と思った人に、読者は手紙・写真を送る。
- 雑誌社の方でその記事宛に届いた手紙をまとめ、発信者に回送する。
- その後は直接お互いにやり取りする。
…という仕組み。なかなか奥ゆかしいね。
最初は、僕に自分をアピールするなんて度胸はなかったので、近くで誰かよさそうな感じの人がいないかな、と思って何ヶ月か読む専門で眺めていたのだけれど、どうもヒットしない。とうとう業を煮やして自分で出してしまえ、と勢いで出してしまいました。島元、20歳。大冒険の始まり。
で、掲載まで1ヶ月、その返事が来るまでもう1ヶ月、みたいな、送った内容も忘れてしまった頃に、普通に下宿先の郵便受けに回送便が届いたわけです。反応は4件。今でもよーく覚えているけど、取り敢えずみんな20歳っていう年齢に惹かれた人たちばっかりでした。当時僕は大阪府池田市に住んでいたのに、わざわざ和歌山から出してくれたおじさんもいました(この方には申し訳ないがお返事すら出しておりません。ごめんね、おじさん)。
で、そのうちの3人と会いました。立て続けに。やるね、20歳。勢いのみですな。
1人目。下宿先から歩いて数分のマンションに住む社会人。当時26歳だったかな…。登山が好きだ、とかで、山登りしてる写真が入ってました。スポーツジムの夜の清掃バイトの前に、近くの居酒屋さんでお会いして、お話しました。結構、ちゃんとした人だったと思う。そんな変な話もせず、いろいろ知りたいこととかあったら聞いてくれ、とか。友達いるから今度会ってみる?とか(それって相手は僕がイケなかったってことやねんけどね)。バイト終わってから丁寧に電話でお礼を言って、いただいた写真も返しました。お会いしたのはそれっきり。
2人目。京都府左京区の社会人。って遠。近所の喫茶店で会って、ちょっと話して、二人で部屋に行って、H手前まで。これが実にサイアクで…未だにトラウマな感じだけれど、途中で僕は泣くわ暴れるわ、気が付いたら相手は帰っていて、僕は下宿の玄関口にへたり込んで意味も分からず泣いていました。別に相手がむちゃくちゃなことを求めてきた、とかそういうんじゃなくて。いざ相手に求められる段となった瞬間に、相手に求められようとしている自分とか、或いは内心まぁ取り敢えずやるだけやっとくか、とか思ってる自分とか、とにかくその瞬間の自分が無様で嫌で嫌で。相手にしたらいい迷惑だったと思います。当然のことながら、お会いしたのはそれっきり。
3人目。同じ大学の大学院にいた人。大学の学食で会って話をして、キャンパスから歩いてすぐのその人のマンションに遊びに行きました。これもまたサイアクで。僕の身振りにオネエっぽいものを感じた相手が冗談で僕を茶化したのだけれど、僕が受け流すことができず、逆上。自分がオネエっぽいと言われることが絶対に許容できなかった頃だったから致し方なかったのかもしれないけど、やはり大人気ない。かくいう相手もオネエ全開で、どさくさ紛れにHを迫られてきて、「自分はオネエだと言われたくない」「相手がオネエなのも嫌だ、っていうか同じ部屋にいたくない」「っていうかオネエ同士がHってのが理解できない(まだHは男性・女性の役割分担のようなものが絶対に必要だと考えていたのでしょう)」などと一人で錯乱状態に陥り、泣き叫びながらマンションを飛び出し逃げ帰りました。無論、それ以後お会いしたことはありません。
結局どれもうまくいかず、一般社会にも、ゲイ社会にも、自分は属せなかったのだ、という空しい気持ちだけが残りました。一月ほど、大学に行く気がなくなって、日がな一日カーテンを閉め切ってベッドで横になっていました。
未だに、セックスは苦手です。もう何年もしていません。
次回、第三回「初めてのゲイバー体験」。これもまた、ちと苦いな…。ぼちぼち書いていきます。